このブログを読んでいる人たちに(居ないが)悪いが拒否権はない。劇場版のFineまで観るしかない。
――「冴えない彼女の育てかた」
私の人生を少しだけ変えた作品を、今更ながらに見直す機会となった。それもこれも、一つの投稿が目に留まったからだ。
深崎暮人先生の新規描き下ろしイラストが、あの頃へと一瞬にして私の――僕の時間を巻き戻したからだ。
アニメ第一期が始まった頃。まだ私は思春期真っ只中に居た。
それでも、今と同じく? というかそれ以上にオタクであったと思う。
そのクールのアニメはほぼ目を通すような生活をしていたし、少なくともそこから四年以上は同じ生活をしていた。今のようにオンラインゲームにハマる前はずっとアニメと小説を摂取するオタクだったのだ。
そんな中、15年冬クールに始まったアニメは豊作だった。
そこから10年以上追うコンテンツとなる「アイドルマスター シンデレラガールズ」
OP謎ダンスの「アブソリュート・ゼロ」(作者が同じキーボードを愛用していて親近感がある)
最近続編が出た「アルドノア・ゼロ」
おもんなかった「ISUCA-イスカ-」
食べるシーンがやたらとエロい名作「幸腹グラフィティ」
これまた人生に影響を与えた「蒼穹のファフナー EXODUS」
……枚挙に暇がない作品群の中、その後の人生に大きな影響を与えたのが「冴えない彼女の育てかた」だった。
この作品についてストーリーから語るのは無粋なのでカットする。とはいえ、メタの張り方がいやらしいぐらいで、終盤に向かってのまとめ方がとにかく素晴らしいことには触れておこう。
この後、だいぶ経ってから同じ作者の「WA2」を観ることになったが、とにかくストーリー展開のきれいさ、登場人物の心情変化を書き切るシナリオに心を揺さぶられてしまった。
……脱線は程々にして。この作品内、それもかなり序盤の方であるキャラクターが発した言葉がとても自分に刺さったのだ。
ゲームのプロット作りに行き詰まる主人公に対して発された、その一言が。
『別に無理することないじゃない。ここで諦めても、今までと変わらない消費豚としての日常が待っているだけよ』
――ずん、と刺さった。
創作なんてやったことがなかった私にとって、それはなんてことのないアニメのワンシーンだった。
でも、それを観た時。確かに自分が消費豚であり続けることに何か恥ずかしさのようなものを覚えたのだ。
アニメを観るだけで、小説を読むだけで満足していた自分。同じようなことをしていた画面の中の主人公は、いつしか自分の理想のためにゲームを作ろうと、ないアイデアを頑張ってひねり出して行く。
……理想のゲームを作るために。そして、自分が憧れたクリエイターになるために。同じ所に立つために。
その先は地獄だぞ、と。それを身を持って体感しているキャラクターは地獄へ落ちる前に引き返せばいいのに、と。本気でない人間はそこに立つことなんて許されないのだ、と。
そんな気持ちからのセリフだった。
その言葉に、確かに撃ち抜かれたのだ。
昔から私を知っている人間は、私が別名義で一時期創作をしていたことも、そして最近は全く書かなくなってしまったことも知っていると思う。
書くことが――何かを創り出すこと自体が。それが自分にとって何よりも大切なことではないのだ、と。
そう気付いてしまった時に、創作をする私の時間は止まったのだ。
……本気の人間は、そんな風に諦められない。少なくとも画面の中の主人公は、こんな言葉で慰めをかけられても、諦めることはなかった。
少なくとも、創作という面においてはそこまで真剣になれなかった。才能がないのだ、と。何一つ完成させたことのないというのに。そんな言葉で諦めてしまった。私は創作においては主人公足り得なかったのだ、と。
それでも、まだ足掻き続ける自分は、こんなブログを書いている。毒にも薬にもならない、ただの掃き溜めみたいなブログを。
これが最後の、私のアイデンティティであったものを失わないための手段であると信じて。
作品自体は2クール+劇場版と、コンパクトなストーリー数ながらボリュームのある作品のため、ぜひ観てほしい。そして感じてほしい。
クリエイターとは、創作者とは。普段どれだけふざけた人間でも。性格的に破綻していても。それでも創作を完成させることができるという、その一点において才能を持った人間である、と。
才能を持ったシナリオライターの、その作品の片鱗に感化されたオタクが一人、未だにインターネットの海に漂い続ける羽目になってしまうのも分かる、と。
――改めて、「冴えない彼女の育てかた」アニメ10周年おめでとうございます。そして、私を魅了したヒロインの一人、加藤恵さん。お誕生日おめでとう。
このブログは、オタクが自分語りのために書きました。
ここまで読んでいただきありがとうございました。