あの頃、僕はまだ大人になることに夢を見ていた――
「86が来る。」
――そう書かれたパンフレットを受け取ったのは、まだ中学生の頃だったかと思う。
中学受験で挫折と、俗に言うエリートとの途方もない差を感じ絶望した。屈折し、真っ当に努力することから逃げ、好きだったはずの車にもいつの間にか興味を失っていた。まるで、今まで積み重ねてきた自分の全てから逃げるように。
そんな中、ある一台のスポーツカーは姿を表した。
“FT-86”
後に86の名でデビューする、トヨタとスバル共同開発のスポーツカーだった。
幼い頃の僕は車が好きだった。どんな種類の車も基本的には好きだったが、やはり主な興味はスポーツカーだった。
とくに、義務教育を頭文字Dで終えた人間としては、やはりAE86やFD3Sといった車に思い入れが深く、当時は深いことは考えず、漠然とそういった車に乗りたいと考えていた。
当時はまだネオクラブームなんてものはなく、程度があまり良くないFDなんかは100万円を切っているぐらいの時代だった(要出典)。ガソリンスタンドに行っては中古車情報雑誌を持ち帰り、読み漁ったのを今でも鮮明に覚えている。
そんな幼少期を過ごし、家庭環境的に叔父二人がバイク乗り(スズキとカワサキ党だった)だったり、父親も世代的に車が好きな世代で、その時のトレンドの車に乗っていたりと、趣味の乗り物というものにあまり抵抗がない環境で育った。そのせいか、いつかはああいったスポーツカーに乗るのだ、と。そう思っていたのだ。
……しかし、時間は残酷なもので。中学生になるぐらいには車への興味は薄れ、それと同時に何か禁忌めいた感覚のようなものを抱くようになった。
今まで好きだったものを好きだと素直に言えなくなっていた。――今まで無邪気に好きなものを好きだと言えていたことが急に恥ずかしくなってしまったのだ。
今思い返すと「ああ、思春期だったんだな」と思うのだが。まあ、とにかく当時はすごく気にしていた気がする。
……そんな少年時代に、86/BRZは登場した。
流線型で、シャープなデザイン。そしてクーペスタイル。
スポーツカーが冬の時代と言われ、次々にラインナップから消えていくような時期だったと思う。そんな時代に、新規設計の、それもFRスポーツが現れた。
とくに、86の前期型でイメージカラーに設定されていたメタリックオレンジ。あの鮮やかなオレンジがボディとマッチして、とても格好良い車だと一目で感じたことを今でも忘れられない。シャープなフロントマスクとリアに向かって少し膨らんでいくデザインの艷やかさ、クーペスタイルのボディに少年時代の僕はすぐに魅了された。
当時はネッツ系列のディーラーに親がお世話になっていたこともあり、担当の営業の方が86について色々教えてくれたのだが、好きなものを好きと言えなくなっていた自分は避けていたような記憶がある。
そして、時は一気に過ぎる。
大学生になった僕は、車のことなんてすっかり忘れてFPSゲームへと没頭していた。
車のことをすっかり忘れていたのには理由がある。なんだかんだずっと電車移動で済むような範囲で生活していたし、地方でも結構栄えたところに住んでいたせいか特に必要性も感じなかったからだ。
しかし、そんな中一つの問題が持ち上がる。
……就活だ。
まあ、一般的な方なら不労所得で生きていくことはできないので、労働という名の時間と能力を対価に賃金を得るという行為をしなければいけない。めんどくさいね。
大学卒業後にニートという進路が取れなかった以上、何らかの職に就く必要があった。まあ、幸いにも超成績優秀者で、大学にはあまり気に入られてなかったけど外面は良かったのですんなり(学歴にしては割と困らずに)就職できた。のだが……
「あんた身分証明どうすんの」
母親の一言は自動車教習所へと僕を駆り立てた。
……身分証明書がないのだ。
今ではマイナンバーカードが結構幅を利かせはじめており、運転免許証を統合するみたいな話まで出てきているが、当時はそこまでの権力はなく。
マイナンバーカードは別で取得するとして、運転免許証もあったほうが良いよね、ということで就活が終わった秋から自動車免許を取ることになったのだ。
そこから、歯車は一気に動き出す。
「や、空冷ポルシェ乗るのにAT限定はないっしょ笑」
……当時そんなことを言っていた気がする。なぜかは分からないが、免許を取らなければいけない、となったときに空冷ポルシェ(930ターボか911のナローボディ)に乗りたいな、とふと思ったのだ。AT限定だとポルシェもF40もデ・トマソパンテーラも乗れねーじゃん、と思ってMTで免許を取ることを決めた。
色々あると思うが、やはり自分は70’s~90’sの車に乗りたいな、という気持ちが強かった。今すぐでなくていいからMTに乗れないと駄目だ! という謎の強迫観念に駆られた結果だった。
当時は一人暮らしをしていたし、家にもMTの車なんてなかった。ひたすら金がかからないように注意して教習を受けた。
運転適性も終わっていたが、それでもスポーツカーに乗りたくてMTからAT限定に変えることはしなかった。
……時は遡り免許取得を決意する少し前。
ゲームをやっている仲間内で一人86を探している人がいた。断続的に86欲しいなーなんて言っていたような気もするが。まあ、とにかく夏前にとにかく欲しいが爆発していて、自分も話題に参加するついでに86を探していた。
そして、あのメタリックオレンジの86を目にすることになる。
一気に甦る記憶。
封印されていた興味が。あの頃必死で隠そうとしていた車への想いが、鮮明になっていく。
一目見るだけでわかるスポーツカー然としたフォルム。メタリックオレンジのスポーティさ。中学生の時に感じたあの感覚が、一気に現代に蘇ったのだ。
……車が欲しい。
素直に、そう思った。男として生まれたからにはやはりMTのスポーツカーに乗らなければ玉無しと変わらん。そんな気持ちが自分の中で高まっていく。
そんな中、免許を取得する流れになり。一気に車への興味が。所有への意欲が高まっていく。
ということで紆余曲折あってGR86を納車しました。意味わからんよな? ……俺にもわからん。
最初は86の後期オレンジを探していたが、なんかGR86の方がはえーしトルクあって運転しやすいし新車で売ってるし――GR86でよくね? と。そうなってしまった。
また、デザインが刷新され、前期よりも全体的に好みのデザインになった。ちょっと(お金の面で)苦労するぐらいで済むならGR86買おうぜ! という気持ちになり。なんやかんやで結局買ってしまった。
もう納車一週間目にして既に坂でフロントバンパーの裏を擦ったり、そもそもあんまり運転が得意ではないのでクソ怖い状態で運転していますが。とにかく長い間付き合っていけたらな、と思っています。
以上。ハチロクとの思い出とこれから共に人生を歩む車の報告でした。まあ、AE86も好きだし、ちょいちょい好きな車の話はこのブログで挟んでいこうかな、と思っている。
また、この場をもってこの車を買うことを肯定してくれた家族、僕に86を見たときの、あの頃の気持ちを思い出させてくれた友人に多大なる感謝を。本当にありがとう。
コチラのブログは基本的に趣味が雑多に混ざっていますが(ゲーム、デバイス、音楽、オーディオ、サーバやネットワーク機器等)、車もそこに混ぜていく形で語っていけたらなと思います。よろしく。